大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

松山地方裁判所八幡浜支部 昭和35年(わ)13号 判決

被告人 武田昭士

昭一一・四・一九生 自動三輪運転者

主文

被告人を一年六月に処する。

未決勾留日数中三〇日を右本刑に算入する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一、昭和三四年一〇月一二日午後八時過頃、西宇和郡伊方町湊浦の米田商店前において谷村正久仁(当二〇年)に対し「わしの顔を知つておるか」と言うたのに同人が直ちに被告人の名前を思出すことができなかつたことに憤慨し、手で同人の右胸部附近を殴打して暴行を加え

第二、同日午後八時過頃から午後九時頃までの間、酒に酔い正常な運転ができない虞があるにかかわらず、自動三輪車(香川六す五二六九号)を運転して西宇和郡伊方町湊浦の米田商店前附近から同郡保内町川之石を経て八幡浜市に至り、以て無謀な操縦をし

第三、自動三輪車の運転免許を受け、中野精麦製粉株式会社八幡浜支店に雇われ、自動三輪車運転の業務に従事中同日午後八時四三分頃、前記自動三輪車を操縦して、同郡保内町川之石雨井の県道を時速約三〇粁で東進し、同町六番耕地一八七番地先の楠金好方前附近にさしかかつたが、自動車運転者は常に前方を注視しながら進行し事故を防止しなければならない業務上の注意義務があるのにかかわらず、被告人はこれを怠り、前方を注視しないで進行したため、折柄進路前方の道路右側寄りに待避していた木村清子(当五五年)に気付かず、自動三輪車の右側後車輪覆の後部下端附近を同女の左大腿部に引つかけて同女を路上に転倒させ、その結果同女に左大腿部裂創、右側頭部挫創、左大脳挫滅、硬脳膜下出血、脳震盪等の傷害を負わせ、よつて同女を翌一〇月一三日午前二時三〇分頃同町川之石病院において死亡するに至らせ

第四、自動三輪車の運転免許を受け、井上製材株式会社に雇われ自動三輪車の運転業務に従事中、昭和三五年三月六日午後零時四〇分頃自動三輪車(愛媛六せ一、三九〇号)に杉材約七〇〇貫匁位を積載したものを運転して北宇和郡吉田町大字立間一番耕地二、四五六番地附近の道路を南進中、道路前方の左側に駐車中の他の自動三輪車の右側を通過しようとしたが、附近道路は幅員二・八米乃至三米位の農道であつて、路面悪く道路右端(南側は石垣積みではあるが粗悪な工事の道路で、且つ前記駐車中の自動三輪車の右側は同車のために路面が狭まり、約二米を余すのみで、この間に車幅一・八米余の自動三輪車を乗入れる場合には車の右車輪は道路右端に著しく接近する状況であつたのでこのような場所を運行するに際しては、自己の積荷が重いことと、道路の状況を考慮しあらかじめ道路の右端附近が自動三輪車の通過に耐え得るか否かを実地に調査し危険な状態であればそのまま通過することをやめ駐車中の自動三輪車を他の場所へ移したうえ通過するか、これができないときは運行を思いとどまり事故を防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらずこのような注意を怠り、単に同乗者堀内正美の進行するも差支えなしとの助言を信じ自ら実地に調査することなく漫然と時速一〇粁位で進行し、自動三輪車の右側車輪が道路右端から約二〇糎位の位置に至つたため車輛及び積荷の重量により道路右端の一部が崩壊し、同車を約二・四米下の谷川に転落するに至らせ、よつて同乗中の二宮正彦(当一九年)に全治約一〇日を要する後頭部挫傷兼頭部外傷を負わせ

第五、同年八月二五日夜、八幡浜市旧役場通のみつわ旅館玄関において同旅館の泊客糸川昇二(当三三年)が表道路に駐車していた自動車を速かに取除けなかつたことに言いがかりをつけ、

(一)  糸川の胸倉を掴んで押しつけ、さらに同人の右足を土足のまま足蹴にして暴行を加え

(二)  次いで所携の刃渡一三・五糎の庖丁(昭和三五年押第一二号)を同人に突きつけ、「お前らの一人や二人ばらすのは世話ないぞ」と申し向け危害を加うべきことを告知し、以つて兇器を示して脅迫し

たものである。

(証拠の標目)

判示第一、同第二の事実について(略)

判示第三の事実について

この事実については被告人は終始否認しているが、当裁判所は次の様な諸般の情況証拠を綜合して結局被告人の犯行と認めるのを相当とする。(説明の便宜上本件事故発生地点周辺の道路及び沿道の人家の状態を別紙図面に表わす。尚公判準備手続中の証人、鑑定人に対する尋問調書中の証人或は鑑定人の供述記載は繁雑を避けるため便宜上単に証人何某の法廷外の供述というように表わすこととする。)

(1)  証人菊地音八巡査の法廷外の供述によれば同巡査は本件事故発生当日(以下単に当日という)警邏を終え派出所に帰るべく自転車にて本件現場を午後八時四二分頃西から東に向つて通過したがこの時には現場に何等の異常は見られなかつたことが認められる。

証人西内鶴光、同谷村正久仁の各法廷外の供述、土居一良及び菊池栄子の司法警察員並びに検察官に対する各供述調書、検察官作成の第一回実況見分調書を綜合すれば右土居一良、菊池栄子は本件現場の東方七八五米の地点にある川之石小学校の教員であるが、当日午後八時三〇分頃右小学校を出て本件現場の西方雨井部落に徒歩にて帰宅しつゝあつたが別紙図面吉本一雄方前の川上進方前において本件現場方面から順次東進して来る三台の車と離合したこと、右離合直前に前記菊地巡査の東進するのにも出遭つていること、右三台の車を立ち停つたままやり過してから二分乃至三分を要して本件現場にさしかかるや(時に午後八時四六分頃)前方路上に人が横たわつて呻いているのが認められたので近づいて所携の電燈の光で見ると本件被害者木村清子が頭部から多量の出血をし人事不省の状態にあつたので、右土居教員は前記離合した三台の車の何れかによつて轢かれたものであると直感し、直ちにこの事故を捜査当局に知らせるべく現場前の福島方で電話を借り川之石派出所に通告したこと、右両教員は第一回の電話通告を終え本件被害者の側に引返し警察官の到着を待つていたが、期待するように来ないので再度福島方で電話したこと、右両教員が第一回の電話を終え被害者の側に引返した時谷村正久仁が運転し西内鶴光が助手台に同乗した西内青果の自動三輪車(以下単に西内青果の車という)が本件現場を西から東に向つて通りかかつたこと、右西内、谷村はともに右三輪車の前照燈によつて被害者の横たわつているのを発見したが、酔つぱらいであろうと思つて左側によけて通り過ぎたこと、右通過の際前記両教員の存在にも気づいたことがそれぞれ認められる。

(2)  証人菊池音八巡査の法廷外の供述、菊池イソの司法警察員(昭和三四年一〇月二八日付)、検察官に対する各供述調書、木村延四郎の検察官に対する供述調書、検察官作成の第一回実況見分調書、司法警察員古川侃作成の実況見分調書を綜合すると当日被害者木村清子(当五五年)は夫延四郎の晩酌用の清酒を別紙図面菊池酒店にて買い求め徒歩で帰宅(菊池酒店を出た時刻が午後八時四三分頃)の途中本件事故に遭つたことがそれぞれ認められる。(右菊池酒店から現場まで歩行すると20秒乃至30秒要す。)

(3)  鑑定人・証人梶原勘一の法廷外の供述、証人田窪光敏の当公廷の供述、梶原勘一作成の鑑定書及び死亡診断書、木村延四郎及び木村敏子の検察官に対する各供述調書を綜合すると、被害者木村清子は間もなく人事不省のまま附近の川之石病院に収容され翌一〇月一三日午前二時三〇分頃死亡するに至つたこと、死因は右側頭部打撲によつて生じた左側頭部脳表挫滅と脳表血管挫滅に基く脳震盪であること、被害者の蒙つた主な傷害は右の外、(イ)左大腿膝関節部外側に逆L字状の三・四糎と三・五糎の皮弁を有し筋層に達する裂創と左大腿外側に長さ約二六糎、幅八糎の広汎性皮下溢血、(ロ)右眉毛下に横走する長さ四糎の挫創と右眼瞼の紫藍色皮下出血による高度の腫張、(ハ)下顎中央頤部に横走せる約三糎の挫創と創囲より頤部全般に亘る皮下出血による淡青色腫張、(ニ)右腸骨前上部に斜走する二・五糎の挫創と創囲の皮下溢血、(ホ)右鼠蹊部に斜走する二・五糎の挫創と創囲の皮下溢血、(ヘ)右側頭部挫創を中心に手掌大の頭皮下出血と頭皮の肥厚及び右側頭部頭蓋骨々膜に同大の骨膜の血液浸潤、(ト)左大脳半分の硬脳膜下出血等であること、被害者のこれら傷害は、その傷害自体及び被害者の生前の健康状態等から綜合して自動車との接触による事故に基因するものであること、而も本件事故を起した自動車は前記被害者の左大腿外側の逆L字状の裂創から考慮して自動三輪車以上の自動車であることが認められ、これらの事実と最初前記土居、菊地両教員に発見された際の被害者の倒れていた様子が頭部をほぼ東側にし、右側頭部を下にし、足をほぼ西側にしていた状態(このことは前記土居、菊地両教員の供述調書、証人宇都宮義正、同岩波光明、同大野芳高の各法廷外の供述により綜合認定できる)であつたことと鑑定人・証人梶原勘一の法廷外の供述を綜合すると被害者は現場道路を西方から東方に向つて進行する自動車に接触し、東方に向う打撃によつて本件傷害を蒙るに至つたことが認められる。

尚、少くとも前叙菊地巡査が当日午後八時四二分頃本件現場を西方から東方に向つて通過してから前記土居、菊地両教員が被害者を最初に発見するまで(午後八時四六分頃)の間に本件現場を東方から西方に向つて通過した車が全然存在しない事実は右両教員の前記供述調書、証人菊地音八、同中村俊雄、同西内鶴光、同谷村正久仁の各法廷外の供述、証人神山武、同大上岸雄の当公廷における各供述を綜合して認めるに足る。

(4)  証人中村俊雄、同西内鶴光、同谷村正久仁、同河野芳喜、同和田泰三、同岩波光明、同宇都宮義正、同土居勇の各法廷外の供述、証人神山武、同大上岸雄の当公廷における各供述、保内タクシー日報、検察官作成の第一回実況見分調書、当裁判所の第一回検証調書を綜合すれば、前記土居、菊地両教員が別紙図面川上進方前において離合した三台の東進中の車(いずれも時速約三〇粁であり証人菊地音八巡査の法廷外の供述によれば、同巡査もその附近において右三台の車に追越されている事実が認められる)は、証人中村俊雄の運転するすみれタクシーの小型乗用車(以下単にすみれタクシーという)証人大上岸雄が運転し、証人神山武の同乗する山田ポンプ商会の小型四輪貨物自動車(以下単に山田ポンプ店の車という)、被告人の運転する中野精麦製粉株式会社の自動三輪車(以下単に被告人の車という)であつて、この記載の順序で本件現場を通過し、菊池巡査を追越し(被告人の車が菊地巡査を追越した地点は別紙神本畳店前でありその時間は午後八時四三分過である。)別紙図面上田方前の三叉路において川之石から雨井に向つて西進する証人宇都宮義正運転の伊予鉄道株式会社の乗合自動車(以下単に伊予鉄バスという。この車は当日本件現場の東方八七三米の地点にある国安停留所を午後八時四三分定時に発車している)と離合したこと、右離合後伊予鉄バスは更に西進し別紙図面吉本勇方前において前記東進する西内青果の車(西内青果の車は本件現場を被告人の車より約三分おくれて通過している)と離合し、さらに西進し菊池酒店前において同じく西進する証人岩波光明の運転する保内タクシーの小型乗用車(以下単に保内タクシーという)に追越され現場にさしかかつて(午後八時四八分頃である)本件被害者の横たわつているのを目撃したこと、右保内タクシーは当日本件現場から東八三六米離れた営業所を午後八時四五分に伊方町方面に行く客を乗せて出発したが、海岸寄の道を通り別紙図面島崎方前で自転車にて東進する前記菊池巡査(同巡査は松田籠店前の三叉路の所で前方に伊予鉄バスを発見しこれと離合するのをさけるため右折した)と離合し松田籠店前の三又路から県道に入り更に西進し吉本勇方前で伊予鉄バスに追つき、同所で右バスについで前記西内青果の車と離合し、菊池酒店前において伊予鉄バスを追い越し本件現場に差しかかつて本件被害者を発見するに至つたこと、伊予鉄バスは上田方前ですみれタクシー、山田ポンプ店の車、被告人の車と離合してから、保内タクシーは島崎方前で菊池巡査と離合してからいずれも本件現場に至るまで離合したのは西内青果の車だけで他になく、また右の区間これら伊予鉄バス、保内タクシーを追越して東進した車もなかつたことが認められる。

(5)  証人中村俊雄の法廷外の供述によれば、すみれタクシーが現場を通過する時には現場に何らの異常も認められず西進する人もなかつたこと、証人神山武、同大上岸雄の当公廷の各供述によれば、すみれタクシーの後を山田ポンプ店の車が現場を通過する際にも現場に何らの異常も認められず西進する人もなかつたことがそれぞれ認められる。

右の事実と河野好雄巡査、小川正夫巡査作成の各捜査状況報告書を綜合すると先ず右すみれタクシー、山田ポンプ店の車によつて本件事故が発生したものでないことが認められる。

(6)  西内青果の車によつて本件事故が発生したものでないことは証人西内鶴光、同谷村正久仁の各法廷外の供述並びに河野好雄巡査作成の捜査状況報告書によつて認め得るところである。

(7)  以上の事実と証人河野好喜の法廷外の供述、証人森田茂、同田窪光敏の各当公廷における供述、司法警察員古川侃作成の実況見分調書、検察官作成の第一回実況見分調書、当裁判所の第一回検証調書を綜合すると西内青果の車が本件現場を通過するより前に他に本件現場を東進して本件事故を起し引返して西進するか、附近の空地にかくれたような自動車のなかつたことも認められる、即ち被告人の車が本件事故を起さなかつたとすれば被告人の車の現場通過後西内青果の車が現場にさしかかるまでに他に東進する自動車が現場を通過し事故を起したことになるが、前記土居、菊地両教員が別紙図面川上進方前で被告人の車と離合して後、現場に到達するまでの間にかような自動車に行遭つたこともなく、その間かような自動車がかくれるため入り込み得るような個所も見当らない。またかような自動車が仮に事故を起した後引返して再び伊方町方面に西進するとすれば方向転換に二分位を要する筈であり、その中には東進する西内青果の車に発見される筈であるところ、西内青果の車はかような自動車を発見したりこれと離合したりした事実もなく、これを要するに、右仮定のような自動車の存在は到底認められない。

(8)  被告人の車は判示第二の事実のように本件現場を通過する時にはめいてい運転をしていたものであり、右事実摘示の証拠によれば被告人は本件現場に至る前にも車の左側ドアーを山手の岩に接触させて開閉できない程度に損傷したり、ジグザグ運転をしたり、また伊予鉄バスと離合するに際して先順位のすみれタクシーと山田ポンプ店の車の間に急に割りこんで右側車輪のリームを道路ふちに擦る等不安定且つ乱暴な運転状況であつたことが認められる。

(9)  鑑定人、証人梶原勘一の法廷外の供述、証人河野好雄の当公廷における供述、当裁判所の第二回検証調書、木村福一郎の司法巡査に対する供述調書、司法警察員古川侃作成の実況見分調書、木村延四郎、木村敏子の検察官に対する各供述調書、押収の木片、草履(昭和三五年押第八号の内第一、二号)を綜合すれば、被害者の前示(イ)の逆L字状の裂創は被告人の車の右側後部車輪のフエンダー後部下端が被害者の左大腿外側に接触したために生じたもの、同部位皮下溢血は同時に右車輪に接触したために生じたものであると推認できること、被害者が清酒一升罎を持つて帰宅すべく西進しながら本件現場にさしかかつた時には被告人の車の前照灯のまぶしさを避けるため被告人の車に背を向けて同車の通過を待つ体勢を執つたことが推認できること、而して被告人の車が運転を誤り余りにも被害者に接近したため右のように接触し、その衝撃のため被害者は右廻りの状態で現場南側にあつた木柵の柱に入歯を打ちつけたため、右柱に入歯の跡を印し入歯は二つに割れるに至つた(前記木片はその歯形の部分を切りとつたものである)こと、同時に右眼を木柵の横板に打ちつけたため前示(ロ)の傷害、下顎を木柵柱の支え棒に打ちつけたため前示(ハ)の傷害、右腰附近を木柵の横板に打ちつけたため前示(ニ)、(ホ)の傷害を生じたこと、次いで右側頭部をアスフアルト地上に打ちつけて倒れたため前示(ヘ)、(ト)の傷害を受けたことをそれぞれ認めることができる。

(10)  更に司法警察員古川侃作成の実況見分調書、愛媛県警察本部鑑識課長作成の鑑定結果報告書四通(四八七号の二、五一〇号五二九号、五〇八号)、証人河野好雄の法廷外の供述、証人森岱義の当公廷における供述を綜合すると、前示被害者の歯型のついた柱のやや東側の中段横板の部分に自動車の塗料が少量附着していること、これはすみれタクシー、山田ポンプ店の車、西内青果の車の何れのものでもなく被告人の車の塗料と同一のものであることが推認でき、これは被害者が前示左大腿部に被告人の車からの衝撃を受けて現場に倒れるまでの間に被告人の車の荷台右後部附近を擦つたために附着した塗料であると推認できる。

(11)  被告人は司法警察員に対する昭和三四年一〇月一四日付、一〇月二六日付、検察官に対する昭和三五年三月二日付各供述調書において、当日本件事故発生の頃被告人が本件現場を通る際には人を見かけていない旨述べているが、このことにより被告人が前方注視義務を怠つていたことが認められる。

(12)  被告人の右検察官に対する供述調書、白石寿雄の司法警察員に対する供述調書を綜合すれば、被告人が本件事故を起した時には自動三輪車の運転免許を有し中野精麦製粉株式会社八幡浜支店に雇われ自動三輪車運転者として自動車運転の業務に従事中であつた事実を認めるに足る。

判示第四、同第五の事実について(略)

(法令の適用)

法律に照すに、被告人の判示第一、第五の(一)の所為は各刑法第二〇八条罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、判示第二の所為は道路交通取締法第七条第一項第二項第三号第二八条第一号に、判示第三、第四の所為は各刑法第二一一条罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、判示第五の(二)の所為は暴力行為等処罰ニ関スル法律第一条第一項罰金等臨時措置法第三条第一項第二号にそれぞれ該るから判示第三、第四の各罪については所定刑中禁錮刑を、その余の各罪については所定刑中懲役刑をそれぞれ選択し、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文第一〇条を適用して最も重い判示第五の(二)の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内において被告人を懲役一年六月に処し、同法第二一条により未決勾留日数中三〇日を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り全部被告人に負担させることとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺宏)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例